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清春って人検索したら黒夢って出るけどなんだろう?
経歴はそのまま下にスクロールするとあります。その他作品は下記のリンクから観れます。
・シングル
・アルバム
・映像
・書籍
清春さんがヴォーカルをしていた黒夢とは?
僕はインディーズ時代の黒夢が大好きだった。
清春自叙伝 清春
インディーズの頃はとにかくカリスマ的なものに憧れてた。売れることよりも影響力のある存在であることを重んじてた。
1991年に名古屋で結成、1994年2月9日にメジャーデビューし1999年1月29日に無期限活動停止。その後2011年に活動再開2015年に活動停止している。
黒夢はインディーズ時代から1999年の無期限活動停止までヴィジュアル系、ポップ、パンクと見た目と音楽性も変わり続けた。
しかし、その変化は清春さんの意思と周りの影響や環境が大きく影響している。
とても強かったのは『変わるんだ』という意識。インディーズの時代からその意識はアルバムを作る度にあった。それによってファンがいなくなっても構わないから変わるんだという気持ち。
清春自叙伝 清春
この様に清春さん自身強い意思を持たれてます。
周りの環境変化
- メンバー脱退
- ロックフェスの始まり
- 破綻
メンバー脱退
結成時メンバーは清春(ヴォーカル)、人時(ベース)、臣(ギター)、鋭葵(ドラム)の4人。デビュー前にドラムが脱退。デビュー後数ヶ月でギターが脱退。
メンバーを補充する選択をせず、ギターとドラムはサポートメンバーで活動することがヴィジュアル系からポップな音楽へ移行するきっかけになる。
ロックフェスの始まり
第1回フジロックをテレビで見た時にダサいと感じ、その在り方の真逆をいく。そしてライブ重視の活動になっていく。
洋楽風のロックが正しいという風潮に疑問を感じていたそうです。
破綻
ライブ本数が多くなるにつれて家庭を先に持った人時との仲が破綻。1999年1月29日の無期限活動停止になる原因の1つとなっている。
破綻して喋らない、移動も別、楽屋も別。そんな状態でライブ120本。
この時に出されたアルバム【CORKSCREW】は当時『今まで出したアルバム全部廃盤にしてもいいぐらいかっこいい』と清春さん自身おっしゃるほどかっこいいアルバム。そして人気絶頂の中、無期限活動停止を発表。
活動停止の時の心境も自叙伝に書かれています。気になる方は是非読んでみてください。

解散
2009年1月29日、一夜限り復活し解散。
再始動
2010年に告知があり動き出したのは2011年。
きっかけは仲良くされていた友人の『死』。友人に声を届ける思いで活動再開。詳しいことは自叙伝に書いてあります。
再始動した黒夢の1発目の新宿でのゲリラライブ【黒夢 1/29 X-DAY Supported by VANQUISH】はニコニコ動画で生配信。
人が集まりすぎて1曲終わらずに中止になる事態はエンタメニュースでも取り上げられました。
その後も武道館ライブ終了後の深夜にライブをするなど目が離せない活動が続きますが、The Black Eyes of Dreamless Deathmask という名前でライブを最後に現在は活動停止。
The Black Eyes of Dreamless Deathmask という名前で何故黒夢の曲をやったのかは不明です。
経歴/出来事
・1991〜1993(インディーズ)
・1991年

- 名古屋で黒夢結成
- きっかけ 臣が清春さんを何度も電話で誘う
- メンバー清春、人時、臣、鋭葵
- 由来 前のバンドの黒夢という曲の歌詞が気に入っていたのでそこからメンバーに提案
- 意味『夢は叶わない』
名古屋で黒夢結成
名古屋ミュージックファームで清春、人時、鋭葵のバンド【ガーネット】を解散後、清春と臣により結成。その後、人時、鋭葵が加入。
きっかけ 臣が清春さんを何度も電話で誘う
『あのさぁ、ガーネットって解散しない?』と臣は清春に毎日電話をしたことが黒夢の始まり。
メンバー
清春〈きよはる〉(ヴォーカル)
人時〈ひとき〉(ベース)
臣〈しん〉(ギター)
鋭葵〈えいき〉(ドラム)
由来 前のバンドの黒夢という曲の歌詞が気に入っていたのでそこからメンバーに提案
『DEAR DOG』というバンド名に決まりかけていたところ【黒夢】を提案。日本語で覚えやすいというのもあり決まったそうです。
意味『夢は叶わない』
“黒”が”夢”を否定している。つまり”現実しかない”ってことです。
夢中占夢
・1992年
- ミュージックファームで初ワンマンライブ首吊りパフォーマンス
- 東京初ライブ
- 3人へ
- 自主レーベル設立
ミュージックファームで初ワンマンライブで首吊りパフォーマンス
黒夢としての初ライブ。清春さんは首吊りパフォーマンスを計画。ライブの最後に計画を実行したら勢いよくし過ぎたせいで首がロープにかかったまま回転してしまうアクシデントに。
東京初ライブ
目黒鹿鳴館(めぐろろくめいかん)でベルゼルブの解散ライブのオープニング・アクト
3人へ
鋭葵が脱退し3人での活動へ。ドラムはサポートメンバー。
自主レーベル設立
“la₊miss”設立。名前の由来は『”ラミア”という上半身は女性下半身はヘビの妖怪』
・1993年
- ビデオ『NEO UNDER』
- メジャーデビュー告知
ビデオ『NEO UNDER』
内容に納得できず発売中止を求めたが発売されてしまう。1週間後発売中止。
メジャーデビュー告知
1993年9月20日、渋谷公会堂でメジャーデビューの告知をするとされていたがその日にされず9月21日の横浜モンスターで発表された。
・1994年〜1999年
- 1994年2月9日
- 臣脱退セカンドアルバムレコーディング中に姿を消す
- POP路線
- パンク路線
- 【Many SEX Years】
- 1999年1月29日
- 無期限活動停止発表名古屋ハートランド当時テレビでも取り上げられていた
1994年2月9日
メジャーデビュー日。デビュー曲は【for dear】

臣脱退
セカンドアルバムをレコーディング中に姿を消してしまう。メンバーは清春、人時になる。この出来事からギター、ドラムはサポートメンバーのスタイル。
POP路線
ヴィジュアル系が流行りだすと脱ヴィジュアル系へ。オリコンチャート主義の当時、結果的にPOP路線へ。後に学生の頃雑誌に載っていた憧れの姿とはかけ離れてしまったと語られています。
パンク路線
音楽業界のあり方、世の中への反抗。その様な歌が増え音楽性も変化。ファッション誌にも出る様になりこの頃から男性ファンが増加。
Many SEX Years
1997年4月のファンクラブオンリーのライブから始まったツアータイトル【 Many SEX Years 】VOL.0~VOL.5まであり1999年1月29日までに200本以上のライブをしている。
テレビでヘラヘラしているロックバンドの姿がダサい、その思いからテレビへの露出を減らしライブを活動の中心へ。
1999年1月29日
名古屋ハートランドで無期限活動停止を発表。メディアにも取り上げられた。
2009年~2015年
- 復活/解散
- 再始動
- The Black of Dreamless Deathmask
復活/解散
1999年1月29日から10年後の2009年1月29日、日本武道館【THE END】と付けられたライブで一夜

再始動
- 再始動告知
- 【黒夢1/29X-DAY Supported by VANQUISH】
- XXXX THE FAKE STAR
- 2012年1月13日
- EVERLASTING TRUTHS
- DIVE INTO THE KINGDOM
- 2014年1月29日
- The second coming of 1994【地獄の三夜】
- BEFORE THE NEXT SLEEP
- The Black Eyes Dreamless Deathmask
再始動告知
2010年1月29日に黒夢とsadsを再始動すると告知。再始動するきっかけに東條 雅人氏が深く関係している。
”東條 雅人”氏…音楽雑誌『FOOL’S MATE』の元編集長。清春さんとは深い親交があった。
【黒夢1/29X-DAY Supported by VANQUISH】
清春、人時にサポートメンバーK-A-Z(G)GO(D)で2011年1月29日に新宿ステーションスクエアでゲリラライブを行う。
人が集まりすぎて1曲目の【少年】の途中で警察から中止の要請。ニコニコ動画で生配信もされていて数曲歌う予定だったと語られている。
XXXX THE FAKE STAR
2011年2月26日、国立代々木競技場第一体育館で行われたライブ。
ライブ開始前の販売されているグッズの色は黒色だったがライブ終了後グッズの色が白色に変わるなどライブ内容以外も観客驚かせた。このライブはDVDで映像化されている。

2012年1月13日
日本武道館でライブ。この日のライブにお笑い芸人ネプチューンのホリケン(堀内 健)と日本テレビアナウンサーの桝太一アナウンサーが出演。サムライギタリスト雅(MIYAVI)も出演。
武道館ライブ終了後、深夜に代官山UNITでライブを行っている。武道館ライブ(ホリケンと桝アナの部分は未収録)、代官山UNITのライブはDVDで映像化されている。


EVERLASTING TRUTHS
東條 雅人氏が亡くなった翌年2010年9月28日頃に東條氏のふるさとの岡山県にある【CRAZY MAMA KINGDOM】でライブを開催。
2010年~2014年までsads、ソロ、黒夢とそれぞれの形態で行われた。
DIVE INTO THE KINGDOM
2013年9月6日と9月14日に行われたライブ。アルバム【黒と影】に収録される【KINGDOM】のコーラスに観客の声を使用するため録音作業が行われた。
ライブ会場限定で発売された【KINGDOM】を購入すると紙製のリストバンドが入っておりライブ終了後にリストバンドの色が発表され、その色が入っていた方はメンバーに会える企画もあった。
2014年1月29日
アルバム【黒と影】と同タイトルで日本武道館でライブを開催。1999年1月29日、2009年1月29日、2011年1月29日そして2014年1月29日。1月29日は特別な日となっていた。

The second coming of 1994 『地獄の三夜』
1994年2月のデビュー時に行われた『地獄の三夜』をデビュー20周年を記念して2014年に第一夜『生前』第二夜『脱皮』第三夜『奈落』を再現し東京、名古屋、大阪で開催された。
演奏曲はインディーズ時代からデビュー当時の曲。
BEFORE THE NEXT SLEEP
2014年7月19日から2015年2月9日まで行われたラストロングツアー。(2014年9月26日の広島公演は2015年3月28日に変更されている)
TOUR 2014 BEFORE THE NEXT SLEEP Vol.1『夢は鞭』 TOUR 2014-2015 BEFORE THE NEXT SLEEP Vol. 2『毒と華』に分けて全国をまわった。このツアーを最後に2021年までツアーは開催されていない。
・The Black Eyes of Dreamless Deathmask
2015年9月6日(クロの日)にZepp Nagoyaに一夜限り現れたバンド。演奏された楽曲は黒夢の曲だがなぜ黒夢でないのかは謎のまま。
これは黒夢でもなければ、黒夢のコピー・バンドでもない。
MASSIVE Vol.20
これ以降2021年時点で黒夢は活動していない。
最後に
- 1994年に清春さんがメジャーデビューしたバンド
- 人気絶頂のなか無期限活動停止
- 活動再開後もゲリラライブや全国各地でライブ
- 今でも根強いファンがいる
- 現在は活動休止している
4人で結成し3人でデビューし2人体制へ。常に変化していくことを求めて様々な姿を見せた黒夢。
そして破綻して1999年1月29日無期限活動停止。2009年1月29日一夜限りの復活と解散。2011年1月29日にゲリラライブで活動再開。2015年活動停止。
1990年代に学生でファンになった方たちは2011年からの再始動で初めて黒夢のライブを見た方も多いでしょう。
今後黒夢が活動を再開するのかは分かりません。ただ、今でも心の片隅で黒夢の活動再開を待っているファンは存在してると思います。
参考資料
・Wikipedia
・夢中占夢
・B-PASS
・MASSIVE
・FOOL’S MATE
・清春自叙伝